第8話:終活ノートで手が止まった私を救ったのは、会津旅行の「スーツケース1つ」だった

公正証書という法的な盾を手に入れ、次はいよいよ「友人に託すためのNotion仕様書」の作成だ。
そう意気込んで画面を開いたものの、私の手はピタッと止まってしまった。

銀行、保険、サブスク、デジタル遺品、部屋にあふれる家財道具……。
「死後のすべてを漏れなく網羅しなければならない」と考えれば考えるほど、
画面の白さが重圧としてのしかかる。

気づけばカレンダーは9月。
プライベートで予定していた会津旅行の準備に追われ、
肝心のNotionはタイトルを打っただけの真っ白な状態で放置されていた。

「また先送りにしてしまった」

そんな苦い自己嫌悪を抱えながら、私は3泊4日の会津旅行に向けて、スマートフォンのメモ帳に「旅の持ち物リスト」を打ち込んでいた。 数日分の着替え、スキンケア、スマホと充電器、ノートPC、常備薬、そして財布。 無駄をできるだけ削ぎ落とし、スーツケースに詰め込んで新幹線に乗り込んだ。

会津の史跡をめぐり、歴史に浸って過ごした4日間。
帰るために、ホテルの部屋で荷物をパッキングしていた私は、ある事実に直面した。

「……あれ? 私、このスーツケース1つ分の荷物だけで、何ひとつ不自由なく、ものすごく快適に暮らせたじゃない?」

自宅の部屋を思い浮かべる。 数えるほどしか使わない食器類、何年も袖を通していない服、そして山積みの書類。 「万が一のため」「いつか必要になるかも」と抱え込んできた膨大なモノや情報は、安心をくれるどころか、日々の暮らしと頭の中を重たく淀ませるノイズに過ぎなかったのではないか。

人間が本当に機嫌よく、自立して生きていくために必要なものなど、スーツケース1個分+αで事足りる。
旅のために作ったあのパッキングリストこそが、私にとっての「暮らしの最小構成(コア)」そのものだったのだ。

頭の中で絡まっていた糸が、一気にほどけた。

いきなり家中のモノや死後の全貌を整理しようとするから挫折する。
まずは、あの旅で実証された「本当に必要なもの」から手をつければいい。

東京に戻った私は、放置していたNotionを開いた。 もう気負う必要はない。
作ったのは、たったひとつの小さなテーブル(データベース)だ。 名付けて「コア装備リスト」。

コア装備リスト▲ Notionで作った最小限のコア装備リスト(まずはこの3行から!

旅の相棒だったノートPCとスマホ。 そして、部屋の中で「これだけは絶対に生活から引き算できない」と確信した冷蔵庫。 まずはこの3つだけを入力し、「新居へ持参」「役割」「処分時の扱い」をキーボードでポチポチと設定した。

所要時間は、わずか3分。 だが、その3行が画面に並んだ瞬間、あれほど重苦しかった「終活」は、身軽に未来へ歩き出すための「引越し&サバイバル計画」へと鮮やかに姿を変えた。

おひとりさまの情報整理は、過去の後始末や遺品整理の準備ではない。
「スーツケース1つでどこへでも行ける軽やかさ」を手に入れるための、前向きな引き算なのだ。

(第8話 了)